まぬけじる日記

もうすぐ不惑を迎える男のまぬけな日常を描いた雑記です。Twitter:@manukejiru

戦争に負けて政府は変わっても国民は変わらない

 緊急事態宣言が発令されたからと言って、僕自身の身体には何の異変もないので、あまり一生懸命自粛しようという気は起きない。しかし、外出時の行き先の8割を占めるジムと図書館が休業してしまっているので、休日はスーパーに買い物に出る以外の時間はほとんで家で過ごしている。つまり結果的には自粛しているのと同じである。
 
 ところで、新型コロナウイルス感染拡大の対応策として、日本政府は一貫して「行動を自粛せよ」としか言わない。自粛というのは読んで字の如く「自ら粛む」ということなので、感染拡大しないように、自分たちで考えて行動様式を改めよということなのだろう。国によっては外で遊び歩いている奴に罰金を課したり、巡回している警官が棒でぶっ叩いたりしているようなところもあるのに比べて、日本は随分生ぬるいのではないかとも思うが、現行の日本の法制度では、このくらいが国家ができる精一杯なのだということである。聞くところによると、国家が必要以上に国民の行動に口出しするのは良くない、という太平洋戦争の反省からこのようなことになっているらしい。

 良いように取れば、日本国民は国家に強制されなくても、国民ひとりひとりが自分の意思で感染が拡大しないような自律行動を取れるほど民度が高く、政府もそれを信頼しているということが言えるのかもしれない。しかし、感染拡大のための行動自粛を個々人の裁量に委ねると、個々人の間で様々な軋轢が起きてしまう。

 ある人はちょっとコンビニに買い物に出るくらいならマスクなんぞ付けなくても良かろうと思う一方、家の中でもマスクを外してはならんと思っている人もいる。電車の中で家族や友人と世間話をするくらいなんてことないだろうと思う人がいる一方、唾が飛ぶから黙ってろと怒る人もいるわけである。いずれの場合においても、前者の方が意識が低く、後者の方が意識が高いということになる。

 意識の高い人の目には、意識の低い人の行動は犯罪同様の許しがたい行為のように映るだろう。国や自治体がこうした行動を取り締まらないのならば、自分たちで取り締まるしかない思い込み、実際に意識の低い人を注意したり、警察に密告する等の行動に出てしまう過激な人もどこからともなく現れる。反論しようにも、「命が失われてもいいのか」とか「医療崩壊が起こってもいいのか」なとど言われてしまうと、どうしようもない。

 僕自身を含め、新型コロナウイルスに感染するよりも、この種のトラブルが面倒臭いから家にいる、という人も多いのではないだろうか。

 太平洋戦争中の日本の暮らしを取り上げたドラマや漫画などで、女の人が綺麗な洋服を着ていたり、おめかししていたりすると、「隣組」と称する割烹着を着たおばさんがやってきて、「戦地では兵隊さんが命をかけて戦っているのに、あなたは派手に着飾って気楽なのね」などとさんざん嫌味を言われるシーンをよく目にするが、今の状況もそれと似たようなものを感じる。

 新型コロナウイルスとの戦いはまさに戦争だ、などと実際の戦争を経験したこともないような人が大げさに騒いでいるが、隣組のようなのが自然発生するような状況では、確かに戦時中のような窮屈さを感じる。

 戦争に負けて、政府の権限は大分縮小されたようだが、俺が公権力だと言わんばかりに、政府の意向を拡大解釈し、率先して周囲を監視し、意に沿わない奴を取り締まろうと意気込む人々は相変わらず出てきてしまうようだ。