まぬけじる日記

もうすぐ不惑を迎える男のまぬけな日常を描いた雑記です。Twitter:@manukejiru

なぜグレタ・トゥーンベリさんのことを腹立たしく思うのか

 グレタ・トゥーンベリというスウェーデン人の16歳の少女が、国連の気候行動サミットでスピーチしているのを見た時、「なんかすげえ子が出てきたな」と思った。実に頭の悪い感想である。「すげえ」という言葉はポジティブにもネガティブにも取れるが、この場合の「すげえ」はややネガティブ寄りの「すげえ」である。「すげえ」の後ろに「面倒くさい」という言葉を補足すると当時の僕の心情をより正確に表現できると思う。依然として頭の悪さを払拭できていないけれども。

 あの演説でグレタさんが非難していたのは、先進国の首脳や企業のトップだけではなく、全ての大人が対象である。つまり、普段クーラーや暖房をつけっぱなしで寝てしまったり、蛇口から水を出しっぱなしで歯を磨き、ところかまわずゲップをしたり屁をこいたりしているこの僕も確実に彼女の標的に含まれている。

 グレタさんのお説教にも似た怒りの演説を聞いていると、これまでの自分のライフスタイルが全否定されているような思いがして実にいたたまれない。ついつい心の中で自分が背筋を伸ばして正座してしまいそうになる。いい大人なんだから少しは反論できないのかとも思うが、彼女の言っていることは全くの正論につぐ正論なので、情けないことに言い返す言葉が思い浮かばない。女子の正論というのは誠に厄介なものである。中学校の帰りにジャンプを買っていたのを学級委員の女子に見咎められ、一切の言い逃れも許されず、徹底的に問い詰められ、人格を否定された苦い記憶が甦ってくる。これがテレビ画面から伝わってくる国連の様子だったからまだ良かった。グレタさんがある日いきなり僕の家に乱入してきて、国連のスピーチのような説教を一対一で懇々とされたら僕は膝から崩れ落ちて泣いてしまうかもしれない。

 ネットの反応を見ていると、グレタさんのことを「面倒くさい」と考える人は一定数いるようである。おそらく、僕と同様に、己がこれまでに環境のことを省みずにやらかしてきたあれこれを咎められているような錯覚に陥るのであろう。「面倒くさい」どころか「生意気だ」とか「いい加減黙らせろ」などという非難中傷の声までも聞こえてくるが、彼らの発想のスタート地点は僕と同じで、より過激な延長線上にいるだけのことに過ぎない。やはり世の中で何が一番腹が立つといって、自分が目下と思っている者から図星を突かれることほど頭に来るものはない。よもや16歳の小娘に自らの環境問題に対する無関心だったり、環境によろしくない行動を取ったことを責められようとは。熱帯夜にクーラーの温度を下げる時、スーパーでマイバッグを忘れた時、食べきれない肉を残す時、「これは地球環境に良くなかったな」とかすかな後ろめたさを感じながらも、己の弱さが故にそれを正当化してしまうのである。それを年端も行かない若造から指摘されたら「うっせえよ、こっちだって分かってんだ」と逆ギレしてしまうのも分からないでもない。

 グレタさんのスピーチを聞いて、気分を害したり、腹を立てたりした大人は大勢いるが、一方で、グレタさんが望むように、これまでの自身の行動を悔い、環境保護のための行動を起こした大人が果たしてどれほどいるだろうか。おそらく、後者は前者に比べて圧倒的に少ないのではないか。グレタさんは、これから大人になるまでの過程において、正論で相手を追い詰めることは、相手の行動を改めさせることにあまり有効ではないどころか、かえって逆効果となることを学んでいくのだろう。