まぬけじる日記

もうすぐ不惑を迎える男のまぬけな日常を描いた雑記です。Twitter:@manukejiru

エナージェル インフリーを使ってせめて読める字を書こうと思う

 令和を生きる子供たちはどうか知らないが、昭和を生きる子供たちは、必要以上に字を綺麗に書くように躾けられていたように思う。僕自身も家にいる時は親から、学校にいる時は先生から、字は綺麗に書きましょうと毎日のように言われていた。先生の中には、あまりに「綺麗な字」を狂信的に信奉するがあまり「字が汚い奴は性格も汚い」などという、まるで理屈にならない理屈を真顔でこねる者まで現れる始末であった。

 さすがにここまで的はずれなことをしつこく言われると、僕も段々と綺麗な字を書くモチベーションが薄れてきてしまい、反抗期の到来とともに、「字なんて読めりゃいいんだよ」というスタンスが徐々に醸成されていき、さらにはパソコンの普及という追い打ちが重なり、とうとう一人の字の汚い大人が誕生してしまうという結末を迎えてしまった。

 一方で「字を綺麗に書かなければならない」という規範意識だけはしつこく僕の中に残り続けていて、自分の書いた汚い字を人に見せなければならない時には、なんとなく後ろめたい気持ちを覚えるのもまた事実である。「字が汚い奴は性格も汚い」というのは行き過ぎだが、字に人の性格や気質が現れるというのは本当のような気がする。僕の場合、はじめの数文字は綺麗とまではいかなくても、辛うじて整っているというレベルの字を書いているのだが、これが2行、3行と続くうちに、自分でも段々と字が雑になっていくのが分かる。書き上げたものを見ると、これほど僕の根気のなさ、飽きっぽさが的確に表現されているものはないと感じる。

 反抗期に確立したはずの「字なんて読めりゃいいんだよ」というスタンスさえも怪しいもので、なぐり書きで書いたメモを後になって読み返しても、自分で自分の字が判読できないなんていうこともザラにある。そういうメモに限って重要な事項だったりして、後になって困ることも多いので、「せめて自分くらいは読める字を書こう」と思い立った次第である。

 「良い仕事をするためには良い道具が必要である」というのが僕の持論である。この持論のために、随分無駄な買い物をしている気もするが持論として定着してしまったものはなかなか修正するのも難しい。「弘法筆を選ばず」ということわざもあるが、それは弘法大師空海という書の名人だからそういうことが言えるのであって、空海でも何でもない我々は良い道具に頼らざるを得ない。

 かと言って、僕は物を失くしやすいので、何千円、何万円とする万年筆を買い求めるのもリスクが大きい。そんなわけで色々なペンを買っては書き心地を試していた僕が行き着いたのが、ぺんてるのエナージェルというボールペンである。

 
 多分に相性の問題もあるのだろうが、僕にとってはこれを使うとペン運びがスムーズになって字が書きやすいし、心なしか10%増しくらいで綺麗な字が書けるような気がする。ペンの太さも0.3mmから1.0mmまで選ぶことができるようになっているが、僕にとってはやや太めの0,7mmで字を大きめに書くようにすると、幾分読みやすい字が書けるようだ。

 これは最近知ったことだが、エナージェルもいくつかシリーズ展開がされているようで、最近購入したエナージェル インフリーというシリーズは、エナージェルの書きやすさはそのままに、見た目もスタリッシュなうえに、ターコイズブルーやオレンジという他ではあまり見ない色が採用されていて面白い。

 
 それまでは資料を訂正したり、書き込みをする時は赤色を使っていたが、インフリーを使うようになってからは、赤の代わりにオレンジを使うようになり、ささやかな個性を演出できる。まあ僕の場合は字が十分個性的なので、色までも個性を出してしまうと、個性が溢れてしまうという弊害もあるかもしれない。

 さて、製造会社のぺんてるは、このインフリーに対して「アイデアが加速する」というキャッチコピーを与えている。確かにブルーブラックの落ち着いた色合いは、書いているうちにアイデアが泉のように湧きそうなイメージではあるが、今のところインフリーによって僕のアイデアが加速したという事例は報告されていない。まあ、これはインフリーというよりも僕の頭の欠陥のせいであろう。