まぬけじる日記

もうすぐ不惑を迎える男のまぬけな日常を描いた雑記です。Twitter:@manukejiru

神が人間を造ったのではなく人間が神を造ったのだ

 自分にとって神様というのは信仰や救いを求める対象としてではなく、自分の置かれている現状を納得するためにいる存在であることに気が付いた。「本当は年収1億くらい稼いで、あと5年くらい働いたら、とっとと引退して悠々自適の生活を送りたいのに、なぜ俺にはそれができないんだろう。まあ、俺もまだまだ苦労が足りないし、もっと自分の能力を高めて世の中の役に立てと神様が言っているのかもしれないな」、という具合である。実際は神様がこう言っているのではなく、自分が勝手に神様の口を借りて、上記のようなことを言わせているに過ぎない。ここに出てくる「神様」というのは、自分が勝手に作り上げた媒体のようなもので、実際は自分が自分に対してそう語りかけているだけに過ぎないのだが、僕自身は自分のことを大して信じていないのだろう。だから自分ではなく、「神様」が必要なのである。自分で自分のことを信じられないならば、自分以外の誰か、例えば隣の山田さんでも良いじゃないか、とも思ったが、どうやらそれは駄目なようで、やはり、「神様」という自分よりも高いところにいる、高貴で神秘的な存在を作り上げる必要があるのだろう。自分の置かれている状況を肯定するためには、自分よりもランクの高い存在に認めてもらう必要があるからだ。そういう意味では、会社なんかでも同じようなことをやっていて、平社員は自分のした仕事が正しいかどうかを係長に認めてもらい、係長は主任に、主任は課長に、課長は部長に・・・といった調子で続いていくわけである。冒頭で、神様は救いを求める対象ではない、という趣旨のことを書いているが、「自分の置かれている状況を誰かに肯定してもらう」というのは、言葉を変えれば「救われる」というのと同じことではないか、とも思った。
 
 さて、こんな調子で僕には僕が作った神様がいるわけだが、一体この神様はキリスト教の神様なのか、イスラム教の神様なのか、はたまたヒンズー教神道の神様のどれに該当するのかが全く分からない。こういうことを専門家や詳しい人に話すと、「おまえは宗教や神学についてよく勉強していないからそういうことを言うんだ」などと怒られるかもしれないが、勉強しないと存在がよく分からない神様って一体なんなのか、とも思う。神様というのは、全てを超越した絶対的な存在のようなイメージがあるが、所詮は人間が人間の都合で作った存在なので、人間の想像の範囲内でしか語れないものなのだろう。すなわち、僕が勝手に作り上げた神は、所詮僕の想像の枠を超えられないのである。そうなると、僕と神はほとんど同じことしか考えられないことになり、考えがここまで至ると全てがどうでもよく思えてしまう。

 これが40年近く生きた男の神様に対する考え方である。誰も読んでいないブログではあるが、詳しい人の目に留まることがあれば、是非僕の考え方を否定し、目を覚まして欲しいものだ。