まぬけじる日記

もうすぐ不惑を迎える男のまぬけな日常を描いた雑記です。Twitter:@manukejiru

サウナで芽生える男の絆

 世の中は空前のサウナブームであるらしい。最近まではサウナと言えば、競馬場や立ち飲み屋などと並んでおっさん臭が漂うものの代表格のように扱われてきたものだが、最近では女性のサウナ愛好家まで増えているという話である。

 サウナ歴10年以上を誇る生粋のサウナ好きの僕にもついにチャンスが巡ってきた、是非サウナ女子とお近づきになろう、と喜び勇んで、今まで以上に頻繁にサウナを訪れているわけだが、どういう訳かサウナ女子など、どこにも見当たらない。いつもと同じように熱気漂う小部屋の中で、汗だくのおっさんが眉間にシワを寄せて耐えているだけである。

 また、どこぞのマスコミが架空のブームをでっち上げたのかと憤慨したものだが、よく考えてみればサウナ女子は女子風呂に行ってしまうに決まっている。したがってサウナ女子とサウナ男子の出会いの機会というのは事実上断たれているに等しいのである。

 「ふざけるな、それじゃあ俺はなんのために10年間サウナに入り続けてきたのだ」とサウナの中で汗とも涙ともつかないものを流していたのだが、10分も居座っているといい加減頭がぼーっとしてきたので、悲嘆にくれるのは一旦中断して水風呂に入ることにした。

 サウナ歴10年以上を誇る生粋のサウナ好きの僕に言わせれば、サウナと水風呂はどちらがなくても成り立たない関係にある。たまにショボいスポーツジムなんかに行くと、サウナだけで水風呂がないようなところがあるが、怪しからんことだと思う。トイレの便器をひとつ無くしてもいいから、そこに水風呂を作れと言いたい。サウナで熱くなった身体を冷たい水風呂で冷やし、開ききった毛穴を引き締めるところまでがサウナである。蕎麦を茹でた後に氷水で締めるのと同じ理屈である。

 これはひょっとすると自分だけのルールかもしれないが、サウナの後の水風呂に入っている時は一切身動きをしないことになっている。膝を抱えて海に沈む岩になったつもりでじっとしていると、僕が身を沈めた時に立っていたさざ波が徐々におさまってきて、やがては水面に天井の模様が映し出されるほど静まりかえる。すると、まだサウナの余韻から頭がぼんやりしていることも相まって、時間が止まったような感覚になる。この瞬間こそが、サウナに入る醍醐味であると僕は思っている。

 この日もそんな醍醐味を味わうべく、水風呂に身体を沈めて不動の体勢をとっていると、運悪く一人の男がサウナから出てきて、僕の(?)水風呂に足を踏み入れてきた。当然のことながら、上に書いたような醍醐味は僕が勝手に感じていることで、他の人にとっては醍醐味でもなんでもないのである。人によっては水風呂に頭まで沈めて10数えた後で、イルカショーのように水面から、ざばあっと飛び跳ねてくる奴もいるので、人それぞれである。

 僕には自分の正義を振りかざして僕の醍醐味を他人に押し付ける権力はないので、黙ってその男の挙動を見ていたわけだが、なんとその男も水風呂に身体を沈めたが最後、微動だにしない。「これは・・・仲間か?」と心強さを感じ、僕も不動の体勢を続ける。お互い一言も発しなかったが、あの時は確かに二人の間にある種のコミュニケーションが存在していた。そして時が進み、二人が入っている水風呂は綺麗な平面となり、水面には天井の模様がはっきりと映し出された。そして何の変哲もない、その模様を確認した後、男は僕と目を合わせて、軽く会釈をして水風呂から立ち去っていったのである。

 別にサウナ女子と出会わなくても良い。あの時サウナは確かに僕に素敵な出会いをもたらしてくれたのである。