まぬけじる日記

もうすぐ不惑を迎える男のまぬけな日常を描いた雑記です。Twitter:@manukejiru

折りたたみ傘がたためない

 不器用さで僕の右に出る者はなかなかいないのではないか。不器用と言っても、高倉健さんが自称しているような、人間的な不器用さではなく、手先の不器用さのことである。生まれてこの方、この歳になるまで一秒のスキもなく、ずっとブキッチョであり続けている。
 学校に通っていた頃は、図工とか技術家庭とか、手先の器用さが求められる授業は憂鬱で仕方なかった。授業で雑巾を縫うことがあったが、こうした作業に慣れている女の子が、他の友達の分まで何枚も雑巾を縫い上げている傍らで、僕は全身汗だくになって針に糸を通すのに精一杯だったりする。
 折り紙を作りましょうという時も、他の人が折った鶴は、クチバシから翼の先までピシっとしているのに対し、僕の鶴は、一晩中着物を織っているところを爺さんに見つかってしまい、ボロボロになって家から飛び立つところを忠実に再現したかのようなみすぼらしい姿になってしまっているのだ。
 幸いなことに、大人になった今では、日常生活において、さほど手先の器用さが求められるような場面には遭遇しないが、調子の悪い日には、頭から湯気を出しながら、10回くらいネクタイを結び直したりしているし、郵送物を封入する時も、僕の折った書類だけ折り目が曲がっていて、若い女の子にやり直しを命ぜられたりして情けない。
 僕が折りたたみ傘が嫌いなのは、使った後にそれを綺麗に畳むことができないからである。例えば、帰宅途中に急に雨が降り出した時に、折りたたみ傘をさして駅まで向かうのだが、駅に着いた後でそれを綺麗に畳むことができないので、電車の中では無造作に丸められた傘を持って、間抜けな感じで突っ立っているしかない。
 学生時代、おそらくこの日も突然に雨が降り出したのだろう。僕はやむにやまれず折りたたみ傘を差して、大学から駅までの帰途についた。その時、僕は知り合って間もない女友達と一緒だったのだが、彼女は駅に着いてもまだ雨に濡れた傘を畳まずにいる僕を怪訝そうに見ていた。
 彼女が「なんでずっと傘畳まないの?」と聞いてくるので、僕はいささかバツの悪い思いもありながら、「上手く畳めん」とぶっきらぼうに返した。すると、彼女は「それ貸して」とクシャクシャになった僕の傘を手に取り、くるくると実に見事な手際で、綺麗に傘を畳み、「はい」と僕の手に傘を戻してくれたのである。
 人は自分に持ってないものに憧れるというが、たったそれだけのことで、僕は彼女のことが一瞬で好きになってしまった。しばらくして僕はこの女性とお付き合いをすることになるのだが、傘を畳んでくれるだけで恋が始まるのなら、手先が不器用なのも、あながち悪いことばかりではないのではないか。世の中一体何が幸いするか分からないものである。